2015年4月28日火曜日

051 浪速グランドロマン「親愛なる凸と凹へ」

夢の中の物語。現実っぽいけど、夢。時々変な生き物が登場する。それはメルヘンの世界で人数の足りない小人や魔女。現実にいるあいつも友達もやってくる。現実って何だろうか。僕たちが見ている世界も夢ではなかろうか。そんなことを思わせてくれる作品でした。

演劇としては若手と古株が混じっていて、おかしな感じだなぁと言う印象。昭和っぽい話し方、分かりやすいジェスチャー、セリフ回しの古株たちに、現代人っぽい自然体の演技をする若手たち。僕にとっては、若手たちの自然体の演技のほうが入ってくる。

オーバーリアクションは笑いを生み出すひとつの方法になっているんだが、分かりやすいジェスチャーやセリフ回しが違和感と笑いをはらんでいて、それでいいのかなぁと観ていた。僕よりも齢が上の人は笑っていたから、それもありなのかとも思う。

ストーリーは実はそれほど入ってこない。今の自分、夢の中の自分、どっちもあたしで、生きている。そんなことを表現していたのだろうか。しばらく時間がたつと夢みたいに忘れてしまう演劇でした。

2015年4月21日火曜日

050 突劇金魚「ゆうれいを踏んだ」

生きている中で出会ってしまったものに影響され生き方や人との付き合い方でさえも影響されてしまう。それが幽霊で桜。

ゆうれいを踏んでしまって、それまで真面目だった女の頭から桜が生える。そのせいで家族からは捨てられ、遠い親戚のもとに逃げるが非日常が迫ってきたから逃げて、バイト先で出会った演劇主催者に利用され逃げて、思っていた日常に出会ったのに、彼氏の優しさや痛いところを突かれて、怖くて逃げてしまう。逃げて残った傷跡。日常と非日常を逃げる物語。

難解です。正直分からない。一人の女性を軸に置きながら、日常と非日常の境目で苦しんでいるように映る。出てくる登場人物みなが変な人たち。印象に残り続けるのがゆうれいの存在。すぐそばにいる非日常。日常に引き戻そうとする彼氏。これがまた笑いを誘うセリフが多いのだが、僕にはどうも笑えない。この気持ち悪さは何だ。

終了後、この感想を書くまで誰が有北さんか分かっていなかったが、あのおばあちゃん役だったのかと気づく。予想外に良かった。基本笑いを取りに行く役しか観ていなかったので、驚いた。そうか、知っているお客はだから笑っていたのか。

作品とは関係ない話だが、どうもあの出落ちで笑うことに対して、ものすごく嫌気がさす。何もしていないのに、真面目な役なのに舞台に出てきた途端に笑うとは失礼ではないか。笑わせようとしているなら話は別だが、出落ち笑いと身内感笑いだけは気に入らない。今そんなことをふと思った。

049 空の驛舎「追伸」

生きること、死ぬこと、それを優しい舞台で3つの物語で描いている。死を経験した人はこの世にはいない。人はそんな死にいろんな意味を込めているのだと思います。意味のある死とは何なのか。

生きること、生きていることを今私は経験しています。だからといって生きることを考えているわけでもない。意味のある生とは何なのか。

そんなことを思いながら、この3つの物語を感じて観ていました。タイトル通りの「追伸」それは生から死へ、死から生へ、これほどに優しく重たい「追伸」を受け止めることができるのだろうか。

1話目は生から死へ、同じクラブの後輩マネージャーが死んだ。先輩2人(男と女)と死んだ後輩マネージャーと同学年の男。告別式での帰り道。学校のグランドで死んだマネージャへの思いを語ろうとせず、語っても軽い話だけ。あの頃の校舎とは変わってしまっている風景に時間の流れ、死が訪れ、自分たちの生きていることを考える。伝えたかった言葉、伝えられなかった想い、セリフの中の「ずるいね」という言葉が胸に残ります。僕には生きているなんて「ずるいね」と聞こえました。

2話目は生と死の両方へ、金貸し屋とギャンブル依存症のおばちゃん(おそらく死んでいる)、生死の境界線を見ている兄と帰ろうと言う妹。微塵も動こうとしない生死の境界線の兄、一緒に生きたい妹は境界線をグルグル回り帰ろうと叫び続けます。死してなおギャンブル依存の彼女もまた伝えたい言葉を伝えたい相手に伝えることもできず、同じところに居続ける。生と死の狭間でどんなことを私たちは残せるだろう。演出は軽快なやり取りなのに、複雑な気持ちになりました。

3話目は死から生へ、入院中の男と付き合っている女、その女の友達。男はどんなことも「」(かぎかっこ)の中に入れる遊びを彼女とおこなう。生も死も「」の中に入れられるのだろうか。友達は自分が彼女に救われたつばめだと語る。彼女はその語りを聞いて自分が死んだものだと気づく。男に優しく生きてと伝える。交通事故で生き残ったものと死んだものの想いが存在する。胸が痛い。

想像で補うしかない生と死、演劇という舞台はそれを観せてくれる。優しくて重たい追伸という言葉にのせて。

2015年4月19日日曜日

048 壱劇屋 MASHUP PROJECT「GOLD BANGBANG!!」

MASHUPの第一弾ということでピースピットの「GOLD BANGBANG!!」を壱劇屋風にアレンジしてきた。

10年前、当時の僕は演劇はぽつぽつと観ているくらいの時でピースピット作品が面白いと聞きつけて観に行き、見事にはまってしまった。
観てしまっていると比べてしまうのです。

アレンジできていたのか?壱劇屋のメンバーが演じるのですから、もちろん当時にないキャラクターの見え方はします。正直な話を先にすると10年前の衝撃は超えない。おそらく僕自身の中で当時のことが色濃く残ってしまっていることも一つの原因だと思います。

そして当時のオリジナルメンバーの魅力が勝ってしまう!元々、ピンの人や劇団所属の方たちが集まって創っていたこともあるし、勢いもあったしね。

やはり壱劇屋には自分たちの作品で本公演をうって欲しいと期待してしまうというのが、正直なところ。

面白くなかったのかと言うと、そういうことではないが、アレンジできていたのかというよりもチャレンジしました、という作品になってしまっているのではないだろうか。

もちろんこれまでの経験があるからこその舞台にはできている。そりゃ面白いんですよ。こういう化学変化させる企画は嬉しいし、その分期待度がアップしてしまってました。

観客が段取りを追うことを気にしてしまうのではなくて、魅了されてしまうできにもっていってほしい。できるかどうかは分からないが抜けのある芝居でそれぞれのキャラの個性をもっと生かしてくれれば、とも思うし、今のままではナリタシリーズの一つとしてみられても仕方ない。この企画が残り2回ある。その中で、新生「壱劇屋」をみたい。

2015年4月16日木曜日

047 US企画短編セレクション 遊士-アソビニン- 「純愛ジャンクション」「ライト」「シロとクロ」

名古屋へ行ってまいりました。名古屋の街自体が初めてだったのですが、面白いところですね。少し駅から離れると下町みたいな雰囲気になって過ごしやすそうでした。

純粋に観たいものをお取り寄せしたという企画。こういう勢いや出会い企画は大阪でも観てみたいので、誰か一緒に企画しましょう。

既に「ライト」「シロとクロ」は5回以上観ているので、感想も含めたものとなってしまいます。

「純愛ジャンクション!」出演:藤村昇太郎(牛乳地獄)×作・演出:西尾武(猛烈キネマレコード)
高校生男子に恋愛をさせれば、面白くなりますよね。校内マラソンで一位になれたら、あの子に告白!少年漫画の王道のような設定。走る走る、あの子に思いを届けるため。その道中に友達が邪魔というか真実というか大好きなあの子のことを教えてくれます。
若さを売りにした勢いは良く、ストーリーにもうひとひねり欲しいくらいにどストレートでした。どストレートはどストレートで起承転結の「転」がもう一声でした。

「ライト」出演:おぐりまさこ(空宙空地)×作・演出:関戸哲也(スクイジーズ)
専業主婦の愚痴だと思わせての家族問題、働き方、追い詰められる状況をリアルに伝えてくる。
笑いがところどころで入ってくることで、油断させられてしまうのですが、真実が少しずつ分かってくると、とても他人事にしてはおけない気持ちにもっていかれます。もちろん演劇ですので面白いところは面白くしているのですが、分かってくるたびに生々しい怖さに襲われます。何回も観ているのですが、どんどん生々しさが増してきていて、きっと演出も変わってきているし、演じるおぐりさんのリアルさも増しているのだと思います。良作です。

「シロとクロ」出演:米山真理(彗星マジック)×作・演出:勝山修平(彗星マジック)
少女と犬の物語。一緒に歩んできた道のりに嘘はない。一緒に生きてきた。確かに一緒に。全編リズム合わせで綴られる作品。
米山さんの代表作と言っても過言ではない、観劇してほしい作品です。リズム合わせももちろんですが、言葉にも注目してほしい。観る度にどこかでぐっときてしまいます。というか泣いてしまいます。僕に語らせると長くなります。感想にならないです。2015年もシロとクロに出会えて幸せでした。何度でも出会いたい。

2015年4月14日火曜日

046 火曜のゲキジョウ 劇団サニー「しんぷる・くろーぜっと」&月曜劇団「大の大人の人」

テイストの違う(当たり前か)2劇団。しっかり作り込んだお芝居と軽快なノリと突込みのコント。それぞれ濃さがあって、楽しめた。

劇団サニー「しんぷる・くろーぜっと」
前作「みるきーはわかってくれない」を観てきているからか、独自の空気というものが劇団サニーにはあるのだろうなと感じている。本なのか演出なのか、きっと本だろうなとは思う。色があるのはいいことだ。好き嫌いが分かれることにもなる。
姉弟のやり取りにお邪魔しいの何者かがやってくる。鬱陶しい役だ。いちいち姉弟の間で余計なことをぺらぺらと述べる。そんなに急がずとも時間やタイミングが解決することもあろうが。星に願っても叶わないことはある。
姉に告白したい弟は若いこともあるし、姉が好きなのだろう。姉は弟が好きだ。家族という枠の中では好き嫌いで測れないものもあるのだと距離感を観て感じた。そこらにいる弟とは自分は違う。その違いを告白しようとするが、できない。認められたいが、できない。結局できない。星に願っても部外者が出てきてもできない。できない物語。
弟好きな僕にとって弟がかわいかった(事実です)。
30分程度では物足りないお芝居でした。

月曜劇団「大の大人の人」
同世代組としては笑ってしまっていたのだが、笑ってはいけない気もする36歳、梅田純平。
大人の人って何でしょう。ビール・酒を片手にもって、ネガティブとポジティブと両手にもって、本当は悲しいのに楽しいっていったり、本当は嬉しいのに普通と答えたり。大人の人って何なんでしょう。
面白いなぁと思っていたのは、一方仕事、一方彼氏(結婚)を探している二人のコントみたいなものなのだけれど、「仕事なんてすぐみつかるよ」と言い「彼氏なんてすぐみつかるよ」と言い、みつからないから「今ここ!!」みたいなやり取りは真をついてた。
そういう意味では若いかむっちゃ年寄りじゃないとチヤホヤされないみたいな話も確かに興味深く悩んでしまう。
今の20代には笑い話だろうけど、私たち30代には真実なのだな。
もっと観ていたいと思ったが、笑えば自分のこと、悲しめば自分のことになるので、観ていると落ち込みそうなので30分でいいです。

2015年4月11日土曜日

045 表現集団Infinity「Taoyaka」

1月に予定されていた公演が塾長の病気で延期になり、4月、船出公演を迎えたとのこと。おめでとうございます。第1回目というのは本当に大変だったろうなと想像します。

時代劇、20年前に起きた事件をきっかけに出会った者たちがそれぞれの思いを胸にもがき苦しみ生き抜く物語。

舞台があるのが専門学校だったせいでしょうか。照明、音響が非常にもったいないことと、美術も残念だったと思います。

物語は王道なんだと思います。王道であれば王道なりの演出の仕方もあるかと思います。通路を使った登場の仕方など変に凝ったことはせずに、まっすぐに演じてほしかった。

役者それぞれの表現には多少のブレを感じる方もいらっしゃいましたが、初日の緊張感たるやを想像すると無理もないかとも思います。役になりきるとはどういった状態なんでしょうね。ここで涙を流せば、ここで見栄をきれば、ここで怒りを出せば、観客は共感してくれるのでしょうか。僕自身もうまく説明ができませんが、何かが足りない、そんな風に思っていました。

船出となった今、次なる作品に期待します。

044 がっかりアバター「啓蒙の最果て、」

関西小劇場若手の中で注目もされている。破壊的な衝動と繊細な衝動の狭間を歩く、そんな印象の劇団。

啓蒙って何でしょう。概念。暗闇から現実を見せつける行為。そんな言葉がはまっていく作品だったと思います。

意味の分からぬRPGなマスターベーションな演劇をDisるところから、劇が動き出す。舞台を演劇を取り上げられた役者たちは非常に無様だ。無様な存在。

舞台は非日常で役者はそこでしか生きていけない。ひとたび日常に戻るとそこは自分が自分でいられなくなる世界。狭い世界。もがいてもがいて見つけ出すのは腐った自分。

ほんとであろうが、虚構であろうが、いずれにしてもオナニー演劇であることは変わりはない。演じているのか自分なのか。

きっと愛すべきクソ野郎どもであるのだろう。

043 火曜日のゲキジョウ C4 CriticalCreation「目病み猫と水のない水槽」&ClickClock「キリコの諷景」(2回)

二面舞台を使いながらも違う演出、観せ方でありました。二つの作品とも「生」ということを考えました。生々しく生活と生きるを描く、僕は僕として「生」とどう向き合えるのだろうか、また一つ二つの作品に出会えたことを感謝します。

Critical Creation「目病み猫と水のない水槽」
舞台中央に置かれた何も入っていない水槽、舞台は部屋、部屋の中央の水槽、一人の若い男が生活している。

猫を買ってきた。ペットショップで本当に欲しいものではなくて持ち金に合わせて買ってきた。そんな猫は目病み猫。主人公は部屋に引きこもってばかり。

揶揄のように部屋はペットショップの籠の中。籠の中の自分。目病み猫と同じような主人公。

部屋の中央に置かれた水槽もまるで主人公の部屋のよう。水も入っていない、水が入っていた時の熱帯魚は死んだ。主人公も死んだ熱帯魚と同じ。

少しずつ猫も主人公も変わりだす。生活に大きな変化はないし、求めて無理して失敗する。そんな日常。答えのない毎日を繰り返す。一寸の光を求めている。それでも生活は変わらない。少しの変化は自分の気持ちの変化。それだけ。また生活が始まる。また生きていくんだ。

長くなりましたが、優しくも厳しい私小説を観た印象です。

Click Clock「キリコの諷景」
再演です。初演の時の印象とは変わり、底へ底へと潜っていくような作品。生というものに執着し、妹の死を受け入れられないキリコ。キリコは汽車に乗る。死んでしまった妹に会うために。妹の死は認めていない。人から奪った太陽の種を届ければ、きっと病気の妹は元気になる。そう信じて汽車に乗る。でも妹は死んでいる。

乗った汽車は過去へと遡る。生を求め死を受け入れず過去を追うために汽車の燃料は同じ名前を持ち生と死の狭間のキリコ(みな妹もいる)。

なんて悲しくも生と向き合うのだろう。死と向き合うのだろう。それほど「生」というものは無常で「死」というものは本当の意味で理解できないものなのだろう。

最後の選択、太陽の種を未来に埋めに行く。自分の「生」を捨て、「死」を受け入れる。

死を目の当たりにし、死を思い、死を受け入れられず、死を認めない。僕たちは日常の中でたくさんの死に出会う。それでも本当の死は知らない。だからこそ、生きることを考えてしまうのでしょう。

2015年4月8日水曜日

042 スーパー・ソウルフル・ミュージカル「ウィズ ~オズの魔法使い~」

久しぶりの大きな商業演劇。梅田芸術劇場、行くなんて久しぶりだ。5人に1人が双眼鏡的なものを持っている。そうだった、受付で売られているほど持っていくものだった。

誰もが読んだ、もしくは見たことがあるオズの魔法使い。ストーリーについては言うことないでしょう。
興味ない方はどうでもいいことでしょうが、梅田彩佳(NMB48)さん目的で観に行きました。
何度も涙ぐんだり、泣いたりしたのですが(これはもうファンだからですね)、観終わってやはり脇を固める役者やダンサーがとにかく上手い!だからそれに負けじと主演もうまくなっているという印象。

ミュージカルも本当に久しぶりに観たのですが、気持ちがのってきてしまう。のめり込んでしまいます。面白かった。

舞台が大きいと照明も舞台仕掛けも美術も世界に引き込む要素として大きいです。小演劇ばかり観ているので、その差を観ながら考えてしまっていたのですが、衣装は負けないだろうなとは思いました。

書きながら思いましたが、この感想は面白くないですね。
本気の梅田彩佳が観れたことで目的が達成されていることがその理由だ。
それでもすごいと思うこと。面白いと思うところはありました。

041 futurismo「珈琲が冷めるまでの戦争」

カフェでの公演を生かした物語。物語というか、シチュエーションストーリーと言ったほうがいいような気がする。

カフェで待ち合わせする男女。どうやら別れ話が展開されるようだ。ただそれだけのシチュエーション話を役者の演じるキャラが時間を追うごとに濃くなっていき、他人事のように思わなくなる。匿名劇壇の福谷さんの本はいつも毒をきかしたセリフや展開が巧みで、悪い気分のする手前のちょうどいいところに置いていく。

またラストの展開も面白いのだけれど、本当に面白いと思えるのはそこにいきつくまでの過程。そのプロセスを魅せる描き方が巧み。何気ないやり取りでキャラがたちあがり、何気ない仕草や動きが役者をそこに本当にいるものだと思わされる。

他人事を自分事に、舞台の中にお客をあげてしまう芝居は毎度のごとくうまくて、これをカフェで行うことでさらに強調して感じることができました。

こうなると匿名劇壇の本公演を観たくなってしまう。

2015年4月4日土曜日

040 シアターシンクタンク万化「チューリング・コード~生まれつき涙を流せない男の話」

極秘裏に開発されたアプリ「チューリング・コード」それは、人に寄り添い人を思い人のための存在。発案者や開発を共にする仲間たち、企業という組織による圧力、様々な立場の登場人物たちがそれぞれの思いを元にいったい誰が人を思っているのか、家族の風景とともに人間の脆さや強さを感じさせてくれる作品でした。

サブタイトルにある「生まれつき涙を流せない男」非常に魅力的なタイトルで、後半に大きなネタバラシがあり、おそらく前半からも少しずつネタがあったのだと思うのですが、もう少し深く語られても良かったかと思いました。
感情という生き物をコントロールすることは非常に難しく、悲しかったり嬉しかったりして涙を流すという行動は確か人間だけができることだったように思います。
他の演劇で、涙なんて人間が勝手に悲しいと思ったり喜んだりして勝手に目から出てくる抽出物だ!みたいなことを聞いて「へ~」と感心していたのを思い出しました。

登場するアプリを演じた夢野さんが本当に可愛くて、本当にこんなアプリがあったら購入するだろうなと思ってしまっていました。本音なんてどこまでいっても出せるわけがなく、確かに機械的に判断してもらったほうがいいのかもしれません。

下手をすれば説明ばかりになってしまう世界観を見事にエンタメにしてしまう力は万化の力だろうとも思いますし、本、役者のみなさんの力だと思います。

これからの私たちの孤独を埋めてくれるのはやはりAIBO的なアプリなのかも。

2015年4月3日金曜日

039 「大阪俳優市場2015春」 Bキャスト

3つのお話がそれぞれキャストも変えて上演。俳優の卵のみなさんの公演といったところでしょうか。久しぶりの世界館は遠いです。

第1話「おちないリンゴ」
大きな気がある家に住む家族のお話。親がいない兄弟だけの家族。不幸ではもちろんない。周りの人が不幸だと決めつける。親がいないことへの憤りをもう少し深みを増してくれたら面白い作品になるんだろうけど、テレビの昼間やっているドラマのように妙に昭和感というのでしょうか、「くさい」芝居が多いように思う。誰がどうのというレベルではなかったかな

第2話「Antique Android~「未来」の「思い出」~」
アンドロイドが各家庭に召使いのように存在している世界。旧型のロボットを使用している主人公、そのロボットにはどうやら「思い出」があるらしい。それは昔、主人公と出会った時の思い出。
アンドロイド役を演じたお二人が印象に残りました。主人公役をされた方も素朴な役柄で良かったように思います。物語としては、3つのお話し中、一番好みでした。
観ながら、手塚治虫の火の鳥に出てくるロビタを思い出しました。

第3話「ザ・パイセン~アッパーチューン2015~」
一世を風靡したバンドに影響された人々を描く物語。きっとスゴイバンドだったんだろうなとは思います。その背景があんまり分からないまま、解散した今も熱狂的になっているファンを通じて、バンドのメンバーがどうなっているのかが描かれていきます。
以前からもそうですが、テレがあるなら舞台あがらなきゃいいのになんてキツイことも思いながら観ていました。物語としては一番分かりにくいというか背景が描かれなさすぎで共感度が低いまま終わったところでしょう。3つのお話し中、オープニングの演出は期待させるものがありました。

総じて、これから俳優としてどこかで出会える方もいらっしゃるのでしょう。それをまた楽しみにしています。