二面舞台を使いながらも違う演出、観せ方でありました。二つの作品とも「生」ということを考えました。生々しく生活と生きるを描く、僕は僕として「生」とどう向き合えるのだろうか、また一つ二つの作品に出会えたことを感謝します。
Critical Creation「目病み猫と水のない水槽」
舞台中央に置かれた何も入っていない水槽、舞台は部屋、部屋の中央の水槽、一人の若い男が生活している。
猫を買ってきた。ペットショップで本当に欲しいものではなくて持ち金に合わせて買ってきた。そんな猫は目病み猫。主人公は部屋に引きこもってばかり。
揶揄のように部屋はペットショップの籠の中。籠の中の自分。目病み猫と同じような主人公。
部屋の中央に置かれた水槽もまるで主人公の部屋のよう。水も入っていない、水が入っていた時の熱帯魚は死んだ。主人公も死んだ熱帯魚と同じ。
少しずつ猫も主人公も変わりだす。生活に大きな変化はないし、求めて無理して失敗する。そんな日常。答えのない毎日を繰り返す。一寸の光を求めている。それでも生活は変わらない。少しの変化は自分の気持ちの変化。それだけ。また生活が始まる。また生きていくんだ。
長くなりましたが、優しくも厳しい私小説を観た印象です。
Click Clock「キリコの諷景」
再演です。初演の時の印象とは変わり、底へ底へと潜っていくような作品。生というものに執着し、妹の死を受け入れられないキリコ。キリコは汽車に乗る。死んでしまった妹に会うために。妹の死は認めていない。人から奪った太陽の種を届ければ、きっと病気の妹は元気になる。そう信じて汽車に乗る。でも妹は死んでいる。
乗った汽車は過去へと遡る。生を求め死を受け入れず過去を追うために汽車の燃料は同じ名前を持ち生と死の狭間のキリコ(みな妹もいる)。
なんて悲しくも生と向き合うのだろう。死と向き合うのだろう。それほど「生」というものは無常で「死」というものは本当の意味で理解できないものなのだろう。
最後の選択、太陽の種を未来に埋めに行く。自分の「生」を捨て、「死」を受け入れる。
死を目の当たりにし、死を思い、死を受け入れられず、死を認めない。僕たちは日常の中でたくさんの死に出会う。それでも本当の死は知らない。だからこそ、生きることを考えてしまうのでしょう。
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