2015年4月21日火曜日

049 空の驛舎「追伸」

生きること、死ぬこと、それを優しい舞台で3つの物語で描いている。死を経験した人はこの世にはいない。人はそんな死にいろんな意味を込めているのだと思います。意味のある死とは何なのか。

生きること、生きていることを今私は経験しています。だからといって生きることを考えているわけでもない。意味のある生とは何なのか。

そんなことを思いながら、この3つの物語を感じて観ていました。タイトル通りの「追伸」それは生から死へ、死から生へ、これほどに優しく重たい「追伸」を受け止めることができるのだろうか。

1話目は生から死へ、同じクラブの後輩マネージャーが死んだ。先輩2人(男と女)と死んだ後輩マネージャーと同学年の男。告別式での帰り道。学校のグランドで死んだマネージャへの思いを語ろうとせず、語っても軽い話だけ。あの頃の校舎とは変わってしまっている風景に時間の流れ、死が訪れ、自分たちの生きていることを考える。伝えたかった言葉、伝えられなかった想い、セリフの中の「ずるいね」という言葉が胸に残ります。僕には生きているなんて「ずるいね」と聞こえました。

2話目は生と死の両方へ、金貸し屋とギャンブル依存症のおばちゃん(おそらく死んでいる)、生死の境界線を見ている兄と帰ろうと言う妹。微塵も動こうとしない生死の境界線の兄、一緒に生きたい妹は境界線をグルグル回り帰ろうと叫び続けます。死してなおギャンブル依存の彼女もまた伝えたい言葉を伝えたい相手に伝えることもできず、同じところに居続ける。生と死の狭間でどんなことを私たちは残せるだろう。演出は軽快なやり取りなのに、複雑な気持ちになりました。

3話目は死から生へ、入院中の男と付き合っている女、その女の友達。男はどんなことも「」(かぎかっこ)の中に入れる遊びを彼女とおこなう。生も死も「」の中に入れられるのだろうか。友達は自分が彼女に救われたつばめだと語る。彼女はその語りを聞いて自分が死んだものだと気づく。男に優しく生きてと伝える。交通事故で生き残ったものと死んだものの想いが存在する。胸が痛い。

想像で補うしかない生と死、演劇という舞台はそれを観せてくれる。優しくて重たい追伸という言葉にのせて。

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